天地ありて然る後に万物生ず。
天地の間に盈つる者はただ万物なり。
故にこれを受くるに屯をもってす。
屯とは盈つるなり。屯とは物の始めて生ずるなり。
物生ずれば必ず蒙なり。故にこれを受くるに蒙をもってす。
蒙とは蒙かなり。物の稺(おさな)きなり。物稺(おさな)ければ養わざるべからず。
故にこれを受くるに需をもってす。需とは飲食の道なり。
飲食すれば必ず訴えあり。故にこれを受くるに訟をもってす。
訴えには必ず衆の起こるあり。故にこれを受くるに師をもってす。
師とは衆なり。衆あれば必ず比しむところあり。
故にこれを受くるに比をもってす。比とは比しむなり。
比しめば必ず蓄うるところあり。故にこれを受くるに小畜をもってす。
物蓄えられて然る後に礼あり。故にこれを受くるに履をもってす。
履みて泰、然る後に安し。故にこれを受くるに泰をもってす。
泰とは通ずるなり。物はもって通ずるに終るべからず。
故にこれを受くるに否をもってす。物はもって否に終るべからず。
故にこれを受くるに同人をもってす。人と同じくする者は物必ずこれに帰す。
故にこれを受くるに大有をもってす。大を有する者はもって盈つるべからず。
故にこれを受くるに謙をもってす。大を有する者はもって盈つるべからず。
故にこれを受くるに謙をもってす。大を有して能く謙なれば必ず豫ぶ。
故にこれを受くるに豫をもってす。豫べば必ず随うことあり。
故にこれを受けくるに随をもってす。喜びをもって人に随う者は必ず事あり。
故にこれを受くるに蠱をもってす。蠱とは事なり。事ありて後に大なるべし。
故にこれを受くるに臨をもってす。臨とは大なり。物大にして然る後に観るべし。
故にこれを受くるに観をもってす。観るべくして後に合うところあり。
故にこれを受くるに噬嗑をもってす。嗑とは合なり。物もって苟しくも合うのみなるべからず。
故にこれを受くるに賁をもってす。賁とは飾るなり。飾りをいたして然る後に亨れば尽く。
故にこれを受くるに剥をもってす。剥とは剥ぐなり。物もって尽くるに終わるべからず。剥ぐこと上に窮まれば下に反る。
故にこれを受くるに復をもってす。復れば妄りならず。
故にこれを受くるに无妄をもってす。无妄ありて然る後に畜わうべし。
故にこれを受くるに大畜をもってす。物畜えられて然る後に養うべし。
故にこれを受くるに頤をもってす。頤とは養うなり。養わざれば動くべからず。
故にこれを受くるに大過をもってす。物もって過ぐるに終わるべからず。
故にこれを受くるに坎をもってす。坎とは陥るなり。陥れば必ず麗くところあり。
故にこれを受くるに離をもってす。離とは麗くなり。
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